12月6日待降節第二礼拝

マタイの福音書1章18~25節 「神が私たちとともにおられる」

 御使いのマリアへの告知から、おそらく数か月が経った頃でしょう。マリアと婚約していたヨセフは、マリアが妊娠したことを知ります。(18)「二人がまだ一緒にならないうちに、聖霊によって身ごもっていることが分かった。」どんなにヨセフは驚いたことでしょうか。ここには、妊娠したのが「聖霊によって」と説明されていますが、この時点ではまだヨセフには何も知らされていませんでした。彼はマリアの純潔を信じたかったでしょう。しかし彼女が妊娠したという事実は日ごとに明らかになっていきます。マリアの妊娠という事実は、二人の関係が壊れてしまうだけではなく、石打の刑とされていましたので、マリヤを愛していたヨセフはそうはしたくありませんでした。この事態に直面し、彼はひどく葛藤し、思い悩みました。悩んだ末に、(19)「ヨセフは正しい人でマリアをさらし者にしたくなかった」ので、自分の方からひそかに離縁状を渡して、マリヤとの婚約を解消しようとしました。それが彼女が幸せに生きるための選択だと思ったのです。

 ヨセフがマリアを密かに去らせようと決心した時、主の使いが夢に現れて(20)「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリヤをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。」と語られました。マリアが身重になったのは、他の男性との姦淫によるのではなく、聖霊によるのだから、彼女を妻として迎え入れるようにとお命じになったのです。続いて御使いは、生まれてくる子に、「イエス」という名を付けるように命じました。「イエス」とは、「主は救い」という意味です。このような名前が付けられたのは、(21)「この方がご自分の民をその罪からお救いになる」方だったからです。外見は着飾っていても、内面はおごりや怒り、妬みなど苦々しい思いがあります。罪には当然、罰が伴います。でもイエス様がその罰を身代わりに受けてくださったのです。また、この処女降誕の出来事は単なる成り行きや思いつきではなく、神の周到なご計画であり、旧約聖書の預言の成就でした。マタイはイザヤ7章14節のことばを引用します。(23)「『見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』それは、訳すと『神が私たちとともにおられる』という意味である。」神であるお方が人としてお生まれくださり、私たちの弱さや悩み、苦しみをも同様に味わい、担っていてくださるのです。この預言はイエスが誕生する700年も前に語られたことばです。神の救いの計画は決して空しく終わることはありません。

 (24)ヨセフは眠りから覚めるとどうしたでしょう?疑えばいくらでも疑うことができたでしょう。自分の知らないところでマリアが不貞を働いたのだと思うこともできました。それに、神の使いが語ったのは夢の中であったのだから、悪い夢を見たのだと思うこともできました。彼は、神からのメッセージを信じて従うか、それを拒否して内密のうちにマリアと離縁するかの決断を迫られていました。結局ヨセフは神からのメッセージを信じて受け入れました。その結果、すばらしい救い主の誕生を迎えることができたのです。ヨセフがこのことを真剣に信じていたことは、(25)「子を産むまでは彼女を知ることはなかった。」ということばと、命じられた通り、「イエス」という名を付けたことによっても示されています。主イエスはすべての人の救いのためにこの地上にお生まれになりました。罪の中に生まれ、外見上はどうであろうとも心の中に醜い思いを持っている者を、その罪から救い、さらにそんな弱い者、悩む者といつも共にいてくださるために、私たちと同じ肉体をもって誕生されたのです。それがクリスマスです。このアドベントの時、恐れずにイエス様を心にお迎えいたしましょう。

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