12月13日待降節第三礼拝

ルカの福音書2章1~7節 「飼葉桶に寝かされたみどりご」 

 (1~2)「そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストゥスから出た。これは、キリニウスがシリアの総督であったときの、最初の住民登録であった。」と書いてあります。このような書き出しから、著者のルカは、主イエスの誕生が決しておとぎ話や創作ではなく、歴史的事実であることを強調しています。また、この記述から当時がいかなる時代であったかを伺い知ることができます。当時ユダヤはローマ帝国の植民地下にありシリア州に属していました。ローマが「全世界」を掌握し、「パクス・ロマーナ」(ローマの平和)と言われる時代でした。しかしそれは表向きの平和であって、実際は、国家が総動員で人民を統制して管理下に置き、徴税および徴兵制度に巧みに組み込んでいくという人間性を軽視する時代でした。イエスの生まれた時代とは、支配者と被支配者が存在する世界、権力や汚職がはびこり、闇が覆っているような世界であったのです。そのただ中に救い主がお生まれになった、神が介入されたということを、ここでは語っているのです。

 徴税を目的に行われたこの住民登録は、それぞれの家系に沿ってなされました。 (4)「ヨセフも、ダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行」きました。ベツレヘムは標高約750mの小高い丘の上に位置します。南へ約140キロ、歩いて4、5日ぐらいかかったでしょう。私たちは、ここにヨセフとマリアを導かれる神様の見えない御手が働いていていることを見ることができるのです。旧約聖書の中で(ミカ書5:2)、キリストはダビデの子孫として、「ダビデの町」ベツレヘムに生まれると預言されています。彼らは、今回の皇帝の勅令により、ベツレヘムに行き、そこで赤ちゃんを産むことになります。奇しくも、救い主がベツレヘムでお生まれになるという預言が成就するのです。神様はご自身の御業のために異邦の王様をも用いられるのです。このことからも、世界の歴史を支配しておられるのは神であり、同じように、見えない御手をもって私たちの歩みも導いておられるのです。

 ヨセフとマリアがベツレヘムにいる間に、マリアは月が満ちて男の子を産みました。(7)「そして、その子を布にくるんで飼葉桶に寝かせ」ました。その子が産まれたのは家畜小屋でした。ユダヤの家畜小屋の多くは洞窟のような場所であったようです。「飼葉桶」は石製か漆喰で作った箱型のものと思われます。洞窟の場合、壁面に切り出したとも考えられます。旧約聖書で預言されてきて、ユダヤ人が待ち望んでいた救い主は、家畜小屋で生まれ飼葉桶に寝かされました。このことは何を意味しているかといいますと、父なる神と共におられた御子がその栄光の座を捨てて、誰よりもへりくだって、最も低いところにお生まれ下さったということです。そして、このことは何のためかといいますと、それは私たちを罪からお救いになるためです。「飼葉桶」とは、人間の罪を表しています。罪の中に苦しむ者を救うために、低く貧しくなられたのです。(Ⅱコリント8:9)「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」御子イエスは私たちが富む者となるために、悩んだり、苦しんだりするこの現実の世界にお生まれになりました。(7)「宿屋には、彼らのいる場所がなかったからである。」私たちの心はどうでしょうか。この時、イエス様を心の中にお迎えいたしましょう。

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